チョコレートの歴史ものがたり-3

チョコレート、ヨーロッパへ渡る

スペイン貴族を虜にしたチョコレート

 カカオやチョコレートが、いつヨーロッパへ持ち込まれたのかは、はっきりとはわかっていません。アステカ帝国を征服したコルテスが、1528年にスペインに凱旋した際に国王に献上したのではないかとする説が有力のようです。また、それより少し遅れて、1544年、ドミニコ修道会の会士がマヤ族の代表団を伴ってスペインに帰国した際、チョコレートを贈ったという記録が残っています。公式にカカオがスペインに輸入されたのは、1585年のこと。17世紀を迎える頃には、エキゾチックな秘薬として、王侯貴族や聖職者の間で大流行していきます。カカオも砂糖も貴重品だった時代ですから、庶民の口にはいることはありませんでした。
 大西洋を渡ったチョコレートは、さまざまな味付けの工夫がなされ、少しずつスペイン風の味に変化していきます。さらに、マンセリーナという専用の受け皿も発明されました。このマンセリーナは受け皿にカップ状のものがくっついたような形をしていて、そこにカップを差し込むようになっていました。宮廷の舞踏会などで、チョコレートのカップを持ちながらおしゃべりをする際、うっかりこぼしてドレスを汚すことのないようにと作られたものです。
 少しずつ華麗さを身につけていくチョコレートですが、作り方はメソアメリカ時代そのままだったので、メターテという平たい石臼でカカオをすり潰したり、泡立てたりと、相変わらず手がかかる飲み物でした。

チョコレート、ヴェルサイユ宮殿へ

 スペインは、この秘薬を約一世紀もの間、門外不出としていました。ヨーロッパ各国がチョコレートを知るのは、17世紀になってからです。
 隣国フランスにチョコレートを伝えたとされるのが、1615年、フランス国王ルイ13世に嫁いだ王女アンヌ・ドートリッシュ、そして、その息子のルイ14世に嫁いだ王女マリア・テレサです。この2つの結婚を機に、フランスの宮廷にチョコレートが持ち込まれ、まもなく貴族階級にもチョコレートが一気に広まっていきました。ルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿で行われる公式行事には、いつも必ずチョコレートが登場したと言われています。ルイ14世自身はチョコレートが好きではなかったようですが、チョコレート好きの妻には勝てなかったのでしょうか…。
 また、スペインの修道士からフランスの修道士へと教会ルートでもチョコレートが伝わっていき、フランスの聖職者たちの間にも急速にチョコレートの飲用が広まっていきました。
 そうした特権階級以外のところでチョコレートが伝わった例があります。17世紀初め、フランスとスペインの国境にあるバスク地方バイヨンヌに、スペインを追われたユダヤ人たちが住み着いたのです。その中にチョコレート職人がいたことから、バイヨンヌの人たちにその技術が伝わり、そこからやがてフランス全土に広まっていったのです。これが、ショコラティエのルーツですね。
 そのほか、イタリアへは、1605年にフィレンツェの商人、カルレッティが伝えたとされています。ポルトガル経由で、薬として伝わったという説も。イギリスへ伝わったのは少し遅く、17世紀後半になってから。イギリスには、紅茶、コーヒー、チョコレートの3つの飲み物がほぼ同時に伝わったとようです。
 こうしてチョコレートは瞬く間にヨーロッパを席捲し、「朝風呂にはいりながらチョコレートを飲む」という、いかにも上流階級の人たちが好みそうな習慣まで広まっていきました。 ちなみに、この時代のチョコレートは、薬局が扱っていました。アステカ時代と同じように、美味しさを求める嗜好品としてではなく、薬効を求めて飲んでいたのでしょう。

 スペイン以外の国で爆発的にチョコレートが流行した背景には、スペインの力の衰えがあります。勢いを失いつつあったスペインから、オランダ、イギリスなどが次々と植民地を奪って自国領とし、そこからカカオが手にはいるようになりました。カカオ栽培が、スペインだけの専売特許ではなくなっていたのです。

コーヒーハウスでチョコレートを

 スペインはもとより、フランスでもイタリアでも、チョコレートは貴族階級の飲み物でしたが、イギリスだけは、少し違っていました。貴族階級でなくても、市民が飲める場所があったのです(もちろん、ある程度裕福な市民の話ですが)。それが「コーヒーハウス」や「チョコレートハウス」です。社交場を兼ねた喫茶店といったところですね。
 1650年にユダヤ人女性が、オックスフォードにコーヒーハウス第一号店を開きます。その後、続々とオープンし、1663年にはロンドンに82軒もあったとか。このコーヒーハウスでは、コーヒーだけでなくチョコレートも飲むことがきました。
 1657年には、チョコレートの新聞広告第一号も。チョコレートは万病の治療予防に効果ありと謳っています。その広告主はフランス人の店主で、「我が国で初めてチョコレートを発売した店」と宣言しているので、その言葉通りなら、最初の「チョコレートハウス」でしょうか。その後はコーヒーハウスと肩を並べるように、チョコレートハウスも続々登場していきます。

 
飲み物か、食べ物か、それが問題だ

 はたして聖職者がチョコレートを飲んでも良いのか?──媚薬として知られていたチョコレートですから、「聖職者は控えるべきだ」と主張する人たちもいました。そんななか、メキシコの司教からチョコレートを贈られたローマ教皇ピウス5世。「どれどれ、どんな味がするのかな?」と期待しながらチョコレートをすすってみると……、うっ、苦い! 「こんなもの、誰が夢中になって飲むものか。これなら聖職者が飲んだところで大丈夫だ」。変なお墨付きを頂戴したチョコレートは、晴れて聖職者もOK!となったわけです。
 が、チョコレート騒動はこれで決着とはいきませんでした。次に問題になったのが、断食です。禁欲的なドミニコ修道会が、「滋養に富むチョコレートは《食べ物》にあたる。断食破りだ」と主張したのです。この頃は、ミルクや卵を加えて飲む習慣もあり、それもやり玉に挙がる一因でした。しかし、チョコレートが生活から切り離せなくなっていた聖職者たちにとっては、これはたいそう迷惑な話。「あくまでもチョコレートは《飲み物》だから、戒律を犯したことにはならない」と苦しい言い逃れをしながら飲んでいたようです。
 結局、ミルクや卵を加えたものはNGだが、水だけで作ったものならOKだとか、チョコレートにパンを浸して食べるのをやめればOKだとか、そんな論争が2世紀以上続いたとか。 やれやれ、お疲れ様、と言いたいですね。

 
イエズス会の内職はカカオ貿易

 16〜17世紀のヨーロッパでは、宗教改革の波が当時の政治をも巻き込んで、凄惨な宗教戦争へと発展していきました。
 イエズス会(ジェズイット派)は、そのうねりのまっただ中で、1540年、スペイン人のイグナチオ・ロヨラらによって創立された修道会です。日本に布教したことで有名なフランシスコ・ザビエルも、結成当時の中心メンバーです。
 反プロテスタントの先鋒として、カトリックの内部改革を推進したイエズス会は、海外で積極的に布教活動を行うようになります。アメリカ大陸における新たな植民地は、彼らにとってまたとない伝導の地でした。イエズス会の宣教師たちは、商才に長けた一面も持ち合わせていたようで、自らカカオ貿易に乗りだし、大きな利益を得るようになりました。イエズス会の船荷は免税だったこともあり、修道会はカカオ貿易でボロ…、じゃなくて、大儲け!宗教会議で、聖職者が事業に携わることが禁じられたりもしましたが、都合の悪いことには耳を傾けなかったのか、その後も、彼らの出稼ぎ内職は続きました。

ヴァチカンの闇とチョコレート

 教皇に忠誠を尽くし、ヴァチカンにカトリックの勢力拡大と富をもたらせたイエズス会ですが、その教皇至上主義から、ヨーロッパ諸国の支配階級や絶対主義に対抗したため、ヨーロッパ諸国の王や諸侯たちの反感を買うようになり(平たく言えば、内職で儲けすぎて、各国の王たちの妬みを買ってしまったってことかしら)、教皇やヴァチカンにとっても、扱いに困る存在になっていきました。
 1773年、教皇クレメンス14世は、そのイエズス会を解散に追い込む決定を下します。ヨーロッパ諸国の圧力を受けての苦渋の決断だったとか。そして翌年、彼は突然、死去してしまいます。遺体の様子から、毒殺説が有力でした。イエズス会の仕業だという噂が流れましたが、事実はもちろん闇の中。
 その毒殺に使われたと考えられるのが、なんと、チョコレート。当時のチョコレートは香辛料などがはいって風味が強く、毒を盛っても気づかれにくかったのです。
 暗殺を常に恐れていたというクレメンス14世ですが、危ないとわかっていても、チョコレートの誘惑には勝てなかったのでしょうか。

元・恋人へ贈る一杯のチョコレート

 甘い恋の結末にチョコレートが小道具として使われたというお話を。
 ある貴婦人が、ある日突然、愛していた恋人に別れを宣言されます。突然冷たくなった彼の態度に衝撃を受け、「なぜ?なぜ?」と自問しますが、どう考えても、自分が振られた理由がわからない。
「世界中で一番彼を愛しているのは、この私よ。彼も私を愛していると言ってたじゃない。なぜ? なぜ、心変わりしたの? ひどいわ、ひどいわ、あの愛の言葉はウソだったの? 彼は私をからかっていただけなの? 許せない!」
 涙も枯れた頃、思い詰めた彼女はある決意をして、元・恋人を自宅に呼びつけます。のこのことやってきた彼に、彼女は、短剣とチョコレートがはいったカップを差し出し、「どちらか選んで」と迫りました。元・恋人は、一瞬彼女の顔を見つめ、「わかった」とにっこり笑うと、迷うことなくチョコレートのカップを手に取ります。そして、「ねえ、きみ。砂糖が足りないよ。毒の苦みが消えてないじゃないか」と言いながら、悠然と飲み干したのです。 彼は、彼女の前で苦しみながら最期を迎えました。心変わりの代償は、ほろ苦いチョコレート。そう、毒入りのチョコレートでした。
 少々脚色して書きましたが、これはスペインの社交界で実際にあったお話だそうです。

チョコレート×コーヒー

 チョコレートと前後して、イスラム圏からヨーロッパにもたらされたのがコーヒーです。どちらも飲み物、しかも最初は「薬」として取り入れられたという境遇も似ていました。いわば同期のライバルのような関係ですが、年月が経つにつれ、ファン層の違いがはっきりと見えてきたのです。
 18世紀になると、チョコレート組とコーヒー組の対立構造は誰の目にも明らかになっていきました。たとえば教会においては、カトリックはチョコレート派、プロテスタントはコーヒー派。貴族階級はチョコレート、中産階級のブルジョア実業家や啓蒙主義者たちはコーヒーといった具合です。「私はチョコレートの方が好きだな」って、そんな単純な好みの問題ではありません。宗派、思想、階級と密接に結びついた二極化でした。
 実際に、熱心なルター派(プロテスタント)だったJ・S・バッハは大のコーヒー好きで、「コーヒー・カンカータ」の名前で知られる曲を作ったことで知られています。もちろん中には例外もいるようで、文豪ゲーテは中産階級の出身でしたが、大のチョコレート好き。そのことを貴族趣味だと批判する人もいたようですが。

 そうそう、チョコレートの歴史が長いスペインだけは、プロテスタントだろうが、中産階級だろうが、「誰がなんといってもチョコレートさ!」というこだわりを通し(というか、大雑把さを発揮し)、朝食に1杯、シェスタの後にまた1杯と、みんなそろってチョコレートを愛飲していたそうです。さすが、チョコレート好きにも年季がはいってます。

メソアメリカの悲劇

 メソアメリカで生まれたチョコレートが、すっかりヨーロッパの世界にとけ込んだ頃、メソアメリカを人口の激減という悲劇が襲っていました。17世紀末には、植民地化される前の1割程度にまで減ってしまっていたとか。その原因は、スペイン人たちが持ち込んだ伝染病、そしてカカオ農園や鉱山などで強いられた過酷な労働。カカオをはじめとする豊かな資源と隆盛を誇った文明が、ヨーロッパの人々の関心と欲を惹きつけてしまったことによる悲劇でした。
 労働力を失ったメソアメリカの植民地では、ヨーロッパのカカオ消費を支えることが不可能に。そこで、ヨーロッパ各国は、南米や西インド諸島、さらには西アフリカに栽培地を求めます。
 その結果、メソアメリカで生産されていたクリオロ種とは別の、生命力の強いフォラステロ種やトリニタリオ種が各地に移植され、大量に生産されることになりました。おかげで安いカカオが供給されることになり、チョコレートの普及には役立ったのですが、その後、チョコレート発祥の地だったメソアメリカは、再び表舞台に立つことなく影が薄くなっていくのです。

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