1519年。スペイン人エルナン・コルテスが率いる遠征隊が、現在のキューバからアステカ帝国をめざしました。当時のアステカ帝国は強大な軍事力をもって近隣諸国を支配下に置き、まさに絶頂期。湖に浮かぶ島に築かれた都には、巨大なピラミッドや神殿がそびえ、それはそれは美しく壮麗な景観だったそうな。
そのアステカには、海の彼方からやってくるという神ケツァルコアトルの伝説がありました。当時のアステカ皇帝モンテスマ二世は、征服しにやってきたコルテスをケツァルコアトルだと思いこみ、「神に抵抗しても無駄なこと」と無抵抗でコルテスを受け入れてしまいます。アステカ帝国の壮大な宮殿に、客人として招かれたコルテスは盛大なもてなしを受け、そこで見るのも初めて、味わうのも初めての、驚きの飲み物に出会うのです。それが、スパイスがたっぷりはいった冷たいチョコレート飲料でした。
その後、コルテスは民衆の反乱を抑え、アステカを完全に制服。1521年、アステカ帝国は滅亡します。
コルテスは、通貨としてのカカオ、万能薬としてのチョコレートの価値をいち早く認め、
スペイン国王カルロス一世にカカオとチョコレートについて記した書簡を送るとともに、さっそくカカオ農園まで作っています。コルテスのこの書簡が、ヨーロッパに初めてチョコレートの存在を知らせるものとなりました。
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コルテスよりさかのぼること17年。実は、コルテスより前に、カカオに出会っていた西洋人がいました。最初にカカオと出会った西洋人、それは探検家クリストファー・コロンブス。そう、あの「新大陸発見」のコロンブスですね。(ホントは大陸ではなくカリブ海の島々だし、発見じゃなく到達ですが)
出会ったのは、最後の航海となった1502年のこと。航海の途中、現在のホンジュラスにあるグアナハという島で、マヤの交易用のカヌーに出会い、荷の中のカカオを発見します。このときのことを、コロンブスの息子フェルナンドが30年後に次のように書いています。「船員たちは、カカオがこぼれ落ちると、あわてて、まるで目を落としたかのようにすぐさま拾っていた」と。そりゃあ、マヤの人たちにとっては当然の行為だったでしょう。とても貴重なものだったんですから! しかし、その様子を見たにもかかわらず、コロンブスはカカオに格別の興味を示すことなく、この“宝の山”との出会いをニアミスで終わらせてしまいます。パワードリンクとして珍重されていたことも、通貨としての価値があったことも知るよしもなく、みすみす見逃してしまったのです。ここが彼の運のないところかな。もしここでカカオの価値を見抜き、いち早くスペインに持ち帰っていれば、彼の最晩年も違っていたかもしれません。
ちなみに、日本では「コロンブス」と呼んでいますが、彼の生地イタリア語読みをすれば「コロンボ」。しかし、ドラマの刑事コロンボのような観察眼は持ち合わせていなかったようで。
カカオの価値を見抜けなかったのは、コロンブスだけではありません。イギリスの海賊、いわゆるカリブの海賊と呼ばれる彼らは、アメリカ大陸の財宝をのせたスペイン船を格好の獲物としていましたが、船荷の中から見つけたカカオにはまったく関心を示しませんでした。彼らはまだカカオとその価値を知らなかったのです。「こりゃ、きっと羊の糞だ」と言って、船一隻分もあったカカオを焼き捨ててしまったこともあるそうな。海賊たちがもう少し好奇心旺盛で、カカオの正体を調べていれば、きっと大儲けできたでしょうにね。
イギリスにチョコレートが伝わるのは、他のヨーロッパ諸国に比べて遅かったため、
価値を知らない海賊たちによって、海に捨てられたカカオは相当な量だったに違いありません。
やれやれ、もったいない話ですこと。彼らものちに、地団駄を踏んで悔しがったでしょうが、はい、後の祭りです。
通貨としてのカカオはそのまま受け入れたスペイン人ですが、ドロドロして苦いチョコレートの方には閉口したようです。「人類よりも豚にふさわしい飲み物」などと不届きなことを言う輩までいたようで。まあ、それほど未知との遭遇だったのでしょう。「これじゃ飲めない」と音をあげたスペイン人たちが、砂糖やシナモンを入れることを思いつき、チョコレートは甘い飲み物へと大変身! それ以降、チョコレートは中米の植民地全体に急速に広まっていきました。ちなみに当時のスペイン人は、かぁ〜なりの甘党だったらしいです。
また、アステカでは冷たいチョコレートを好んで飲んでいたようですが、植民地のスペイン人たちは熱いチョコレートを好んで飲み、やがてヨーロッパへも熱い飲み物として伝わっていきました。
味のほかに、もうひとつの革命がありました。それは、泡の作り方。それまでのチョコレートの歴史では、器から器へと勢いよく注ぎ込むことで泡立てていたのですが、スペイン人たちは、もっと便利なものを発明しちゃいました。モリニーニョという攪拌棒です。モリニーニョは、まるで、棒の先に松ぼっくりをくっつけたような形で、ショコラティエールと呼ばれるチョコレートポットとセットで使います。ショコラティエールの蓋から突き出たモリニーニョの棒を勢いよく回転させながら上下させることで、ポットの中のチョコレートをボッコボッコとかき混ぜ、泡立てたのです。
この方法は、19世紀のヴァン・ホーテンの発明によって、泡立てなくても舌触りがなめらかなチョコレートができるまでずっと続きました。
ちなみに、『ミッシェル・ショーダン』や『ミュゼ ドゥ ショコラ テオブロマ』のお店では、ショコラ・ショー(飲むチョコレート)を注文すると、このショコラティエールに入れて持ってきてくれます。モリニーニョももちろんついているので、蓋を開けて、「松ぼっくり?どれどれ」って、のぞいてみてください。あ、今はもうモリニーニョでかき混ぜなくても大丈夫ですよ。
アステカの人々は、チョコレートのことを「カカワトル(cacahuatl)」と呼んでいました。カカオの水という意味です。最初に、ヨーロッパにチョコレートを紹介したコルテスは、チョコレートのことも「カカオ」と表現していました。
ところが、16世紀後半のある時期から、スペイン人たちは、それまでにない「チョコラトル(chocolatl)」という言葉で呼び始めました。この言葉がやがて、「チョコラテ(chocolate)」に変わり、本国スペインではそのまま定着していったのです。(その後、フランス語、イタリア語、英語などでそれぞれ少しずつ形を変えました)
なぜ、スペイン人たちは、「カカワトル」を「チョコラトル」に変えたのでしょう? 『チョコレートの歴史』という本の著者は、「カカワトル」では少々まずい理由があったという面白い説を展開しています。その理由とは、カカワトルの「caca」の部分にあります。「caca」をスペイン語の辞書でひいてみましょう…。はい、ちょっとここに書くのを躊躇してしまう「ウ」から始まる単語が出てきます。なるほどこれは…「どうよ?」ですね。そこで、考えたスペイン人たちは、マヤの人々が、チョコレートのことを「チャカウ・ハー」(熱い水の意)と呼んでいることに目を付けました。「チャカウ・ハー」は、「チョコル・ハー」と言い換えられることもありました。
そこで、「そうだ! このマヤ語で熱いという意味の『チョコル』に、アステカ語の『アトル』をくっつけて新しい言葉を作っちゃえ」と…。真相はわかりません。でも、なかなか説得力があるようにも思えるんですけれどね。
余談ですが、同じ悩みを抱えたサッカー選手がいます。セリエAのACミランに所属するブラジル代表のイケメン選手、カカー(Kaka)です。このカカーというのは本名ではなく、本名の「リカルド(Ricard)」を幼い弟が上手に発音できずに「カカ」と呼んだのがそのままニックネームになり、それを登録名にしたものです。しかし、カカ=「Caca」ではまずいだろうというわけで、ACミランに入団の際は登録名変更の話もあったそうですが、結局「C」を「K」にし、さらに、くれぐれも後ろにアクセントを置いて発音してねってことで、その愛称を通しています。きっと野次られたりすることもあるんだろうなぁ。可哀想に。
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